前回
『36) They pleased us with the result. より、その受動態を考えると
↓
37) We were pleased at [with] the result (by them).
↓
34) We were pleased at the result.
↓
1)We are pleased to invite you to ~
の、過程36)→ 37)→ 34)→ 1)をみると、be pleased to ~なる表現は:
36) They pleased us with the result.
の they にて表象されるような外部からの或いは外部的な力に起因し、意識的あるいは無意識的に生じたものと考えられること、そして be pleased to ~ なる表現がとても社会的なものと思われること』 とお話し致しました。
ここで Oxford のgladとpleasedに関する記述:
glad
▶adjective
feeling pleasure or happiness
と、
pleased
▶adjective
feeling or showing pleasure and satisfaction, especially at an event or a
situation:
を比べますと、glad の場合は feeling pleasure or happiness と感情が個人の内に収まっているものの、pleased の前段では feeling or showing pleasure and satisfaction と「喜びと満足を感じる若しくはそれらを (外に向かい) 表わすこと」までも示されております。そして更に後段に付記された especially at an event or a situation は、或る事柄もしくは状況に於ける場(社会的外力の及ぶ 『場』 )を意図したものと考えられます。ですから、其のような外力(影響)を意識的あるいは無意識的に感じるとき:
1)We are pleased to invite you to ~
なる be pleased to を伴う表現が為されるものと考えられます。
此処で glad の語源を Oxford で調べますと:
ORIGIN
Old English glæd (originally in the sense ‘bright, shining’), of Germanic
origin; related to Old Norse glathr ‘bright, joyous’ and German glatt ‘smooth’,
also to Latin glaber ‘smooth, hairless’.
と記述されております。このようにgladの場合は元々Oxford に記載された:
glad
▶adjective
feeling pleasure or happiness
にて表され得る純然たる形容詞である一方、
pleased は pleaseなる動詞に由来する受動態分詞であり、当に、社会的外力の只中にあるビジネス活動の 『場』 で頻繁に使用されることとなるのでしょう。即ち:
2)We are glad to invite you to ~.
の glad は Old English glæd (originally in the sense ‘bright, shining’) と、“bright, shining”の感覚のもとで古英語 glæd を起源とし feeling pleasure or happiness を表す単語である一方、
1)We are pleased to invite you to ~.
の pleased は especially at an event or a situation(特段に出来事あるいは状況の場に於いて)と、一定の状況に於ける付帯状況に起因し、そして、それらを含意する単語と云えそうです。
日本語話者が心の表層あるいは深層で 『お陰様で~』 と感じるとき (英語話者がそのように感じるとは述べておりません):
1)We are pleased to invite you ~.
の如く現して宜しいように思われます。
フロイトによればイド(無意識)はエゴ(意識)のもとに在り、チョムスキーによれば深層構造は表層構造を支え、現象学によれば「意識を反省する意識」が意識のもとに存在します。母語であれば、「申し上げます」と「お伝えします」等の違いも、ほゞ直感的に理解できるものの、外国語となるとそうは行きません。其処に第二言語の第二言語たる所以があるのでしょう。
言葉は、どの一部を変えても意味が微妙に或いは大きく変化いたします。そして、一見、よく似た様々な単語があって、多様な言い回しが存在致します。然るべき理由の下に、それらが存在するものと考えるべきでしょう。気軽に英文を作り取引先に送付することは、非常に危険な行為と言わざるを得ません。
ところで、「英語を英語で考える」 とか 「英語を英語で理解する」 とか、たまに聞きますが、これほど非論理的な言葉使いも凡そ考えられません。
論理学的に云えば: SをSで理解する → 同語反復、命題が成立せず。
法律学的に云えば: 主体と客体が同じ → 債務関係を論じ得ず。
現象学的に云えば: 己と意識の対象を認め得ず → 認識不能。
街の豆腐屋さん的に言えば:豆腐を豆腐で考える?豆腐を豆腐で理解する?→+ ∞ ?
BEWAで学べば、みえないものがみえるようになります。つまらかった英語学習が楽しくなります。そして、職場で用いるビジネス英語が無理なく身に付きます。